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随想

声楽家(バリトン)

こんの けんいち

近野 賢一 さん

 京都市立芸術大学大学院修了。青山音楽賞新人賞受賞。フライブルク音楽大学大学院、ならびにミュンヘン音楽大学大学院修了。これまでにドイツ歌曲による2枚のCDをリリース。令和4年度名古屋市民芸術祭賞受賞。現在、岐阜大学教育学部准教授、名古屋音楽大学講師。

シューベルトのリートに魅せられて

 ドイツ語の詩に音楽が付けられた歌のことをリート(Lied)と呼びます。
 私が歌を学び始めたのは高校2年の春、奇しくもその年はシューベルトの生誕200周年のメモリアルイヤーでした。そのためテレビで「シューベルトを歌う」というレッスン番組が、数か月にわたって放映されたのです。その時点で声楽について私が知っていたことと言えば「3大テノールはすごい人たち」くらいのものでしたが、1回30分間のその番組を視聴する中で「声楽にはこんな分野があるのか! これがまさに自分が歌いたい歌だ!」と衝撃を受けたことを覚えています。

 番組の講師で、伝説的なバリトン歌手であるディートリヒ・フィッシャー=ディースカウが指摘する詩の解釈やそれに伴った演奏の繊細さ、ピアノと歌の関わりの深さ、そしてシューベルトのリートの虚飾を排した美しさ、とりわけその内向性に、みるみるうちに引き込まれていきました。それ以来、私はリートの虜となり、リートを歌い続けています。

 中学校の音楽の授業で、シューベルトの「魔王」を鑑賞した方も多いのではないでしょうか。ピアノパートの三連符やそれが表すもの、また子どもの「お父さん、お父さん」という叫びが強烈な印象を残します。教育実習生として私が中学校へ実習に行った際にこの曲のさわりを歌うと、すぐに「魔王の先生」と覚えられ、楽しく実習を終えることができたものです。しかしこの曲は作品番号1として出版された、18歳のシューベルトの一作品であり、ほんの一面に過ぎません。

 シューベルトのリートに接するとき、「純粋さ」とも表現できる彼の姿勢に、私は強く惹かれます。それは「欲の無さ」と言い換えることができるかもしれません。他者に抜きん出て、ことさらに自分をアピールしようとする音楽には感じません。そこが彼の個性となって光り輝くとともに、人の痛みを理解してくれるような深い優しさを、間接的に感じさせるのです。

 昨年、リサイタルで取り上げた「冬の旅」は、特に暗く過酷な作品です。主人公は絶望や怒り、孤独感とともに街を後にします。そのような旅にも関わらず、私たちが魅了され続けるのは、自分と主人公を重ね、一緒に真冬を歩いて痛みを味わい、そしてその傷が癒されるような経験をするからかも知れません。

 シューベルトは音楽史上では「歌曲の王」と称されますが、私の想像ではその呼び方を彼が喜ぶとは思いません。ただひたすらに詩と純粋に向き合い続けた結果、600以上のリートが生まれたのでしょう。シューベルト作品を演奏する者にも、この「純粋さ」が求められ、それが失われた途端に分厚い壁が立ちはだかるように思います。私もシューベルトのリートを歌う者として、作品への情熱に、ただ素直にまっすぐ向き合い続けたいと思います。