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常磐津奏者

ときわづ つなほう

常磐津 綱鵬 さん

 高校生の時に「名古屋むすめ歌舞伎」に入団し、女流歌舞伎役者として活動後、常磐津奏者に。艶やかな声から軽快な声まで幅広いキャラクターを一人で演じ分け、聴きやすい唄や語りで、舞台人はもとより、初めて常磐津を聴く人たちからも好評を得て、名古屋市文化振興事業団第39回芸術創造賞を受賞。美濃路街道に活気を取り戻すため地域密着型のカフェを作り、自らもカフェに併設した舞台で演奏するなど、様々な角度から名古屋や周辺地域の文化芸術を盛り上げようと活動している常磐津綱鵬さんをズームアップ!

(聞き手:杵屋 六春)

子どもの頃の綱鵬さん

 子どもの頃はおとなしく、言葉で自分の想いを伝えることが得意ではありませんでした。絵を描くことが大好きだったので、絵に秘めたる感情を表現していました。よく似顔絵を描いて友人や先生に褒めてもらえることが嬉しかったですね。

 転換期になったのは小学6年生の時です。授業中に友人とけんかになり、自分の感情をさらけ出したことで、殻が破れたような感覚がありました。“今まで何を恥ずかしいと思っていたのだろう”と突然人の目が気にならなくなり、生徒会長に立候補するまでになりました。その選挙演説で昔流行していた「アタックナンバーワン」の替え歌を歌いながら踊り、周りを驚かせたのは良い思い出です(笑)

幼少期の綱鵬さん
小学6年生の時に描いた似顔絵

歌舞伎の世界へ

 南区道徳の祖父宅に遊びに行くと、いつも歌舞伎やチャップリンの無声映画などのビデオが流れていて、それを横目で見ながら遊んでいました。知らず知らずのうちに影響を受けていたのか、高校1年生の時に、名古屋まつりの市民KABUKIに自ら応募し、参加しました。そこで学んだ、“普段の動きに100倍のパワーを入れて手を出す”“お腹から二文字目を強く出しながら円を描くように声を出す”“見得を切る”など日常からかけ離れた所作がとてもかっこよく、周りを驚かせたいという自分の思いと一致しました。華やかなヘアメイクで舞台に立つこともでき、あっという間に歌舞伎の世界に魅了されました。市民KABUKIが終わった後もこのまま歌舞伎を続けたいと思い、「名古屋むすめ歌舞伎」(以下むすめ歌舞伎)に入団しました。

10代の時「神霊矢口渡」

 今振り返ってみると、私は歌舞伎の道に、姉はパントマイムの道(クラウンとして活躍するLONTOさん)に進んでおり、きっかけはやはり祖父だったのかなと思います。

 その後も私の青春時代はどっぷり歌舞伎でした。その中でも特に印象に残っているのは、若手が主役を務める自主公演で「神霊矢口渡」という演目の六蔵という役柄をさせていただいたことです。三枚目の役どころなので、お客さんが笑って喜んでくれるんです。演じることが本当に楽しいと感じました。

一旦は離れた芸能の道

 20代前半まではやりたいという気持ちだけで突き進んでいましたが、次第に歌舞伎だけでは食べていけないと悩むようになりました。ちょうどその頃、似顔絵師という仕事を知り、もともとの絵の能力を生かして、2足のわらじでの生活を4年ほど続けました。ありがたいことに似顔絵師としての仕事も忙しくなりましたが、今度はどっちつかずの自分に不安を感じ、歌舞伎と似顔絵のどちらかを選ばなければいけないのではと悩んでしまいました。

 将来に漠然とした不安を感じていた時、家族でトルコに旅行に行きました。その時に見たエーゲ海がとても美しく、「なんて世界は広いんだ…」と感銘を受けました。まだ自分の知らない世界がたくさんあることに気づき、悩みが晴れていくような感覚だったことを鮮明に記憶しています。「もっと違う道もあるかもしれない、少しこの世界から離れてみよう」と26歳の時にむすめ歌舞伎を退団しました。そこから4年間は芸能の道から離れ、東京で似顔絵師の仕事を続けました。

東京デザインフェスタにて

可能性を感じた常磐津の道

 30歳になり名古屋に戻ってきたタイミングで、もともと歌舞伎の一環として学んでいた常磐津を本格的に学ぼうと、常磐津綱男師匠に再度入門しました。常磐津は“聴く歌舞伎”とも言われているので、今まで教えていただいたことを活かせるな、という思いがありました。

「竜潭譚」(人形劇場ひまわりホール)

 5年間くらいは発表会の出演など限られた場所での活動が主でしたが、似顔絵師をしていた頃の友人が妖怪をテーマにした展示を開催することになったため、「三味線で何かテーマに合うものを演奏してほしい」と依頼されました。その際に平安時代の武将の渡辺綱と鬼女を題材にした「戻橋」という曲を弾き語りしたのがきっかけで、その後も落語の似顔絵イベントの前座に呼んでもらうなど、似顔絵と常磐津の繋がりを嬉しく思うと同時に、常磐津の可能性を感じました。

 また、演出・脚本家の故・木村繁先生は私の夢だった、常磐津を弾き語りで全国各地へ伝え広めていくという世界を開いてくださった大切な方です。先生に、異ジャンルの方々と結成した「プッペンテロル」の人形とパントマイムとの浄瑠璃台本を書いていただき、毎年新しい試みの舞台に挑戦しています。

 常磐津の正式な舞台は三味線方と浄瑠璃方に分かれており、普段は浄瑠璃方として活動していますが、こういった活動のおかげで、古典以外の様々な場所で演奏させていただく機会が増えました。最近では演劇の舞台や日本舞踊の公演などにも声をかけていただけるようになりました。異ジャンルの方々との共演はとても刺激になります。

故・木村繁さんと(名古屋市芸術創造賞授賞式) 

挑戦は続く

 2020年には地域の人たちにも芸能を身近に感じてもらいたいと、築127年の古民家をリノベーションし、檜舞台(MINOJIBASE)を併設したカフェ「カフェ &ギャラリー みどりや」を清須市の美濃路沿いにオープンしました。

 常磐津などの伝統芸能は敷居が高いというイメージかもしれませんが、カフェに来たついでに気軽に触れてもらうことができますし、地域の人の声を聞くこともでき、視野を広げることに繋がっています。このカフェで落語や篠笛など、常磐津以外の公演も行い、地域の文化交流や発展の場所にしていけたらと思っています。

 市民参加のイベントがきっかけでこの世界に入った自分のように、ささいなことから興味を持つ人が増えていき、伝統芸能が次の世代に繋がっていくことを願っています。好きなことを仕事にできるものだと伝えていきたい。あとは純粋に常磐津愛好者を増やしたいという想いもありますね。

 英語による常磐津弾き語り配信で世界に日本の文化を知ってもらったり、泉鏡花ゆかりの土地を巡りながら、弾き語りで全国ツアーをしたいなど、数え上げたらキリがないくらいやりたいことが満載です。今後の活動にもぜひご注目いただけたら嬉しいです。

MINOJI BASEオープンイベント