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- 2023年 Autumn号
- 伊藤 豊嗣 さん
グラフィックデザイナー・名古屋造形大学学長
いとう とよつぐ伊藤 豊嗣 さん
名古屋市内で唯一の美術やデザインの大学である名古屋造形大学(以下「造形大」)の学長として学生の指導にも尽力する、グラフィックデザイナーの伊藤豊嗣さんが、2023年、造形大の母体である学校法人同朋学園理事長に就任しました。
ますますの活躍が期待される伊藤さんに、この地域のデザイン業界の流れや、ご自身の活動についてお伺いしました。
(聞き手:鈴木 敏春)
環境と人に恵まれ、デザインの世界へ
― 伊藤さんの幼少期について教えてください
1958年に三重県桑名市の旧桑名郡多度町に生まれました。実家はもともと専業農家でしたが、父が造園業を兼ねるようになりました。造園業は木を植えるだけでなく、その後の、庭木の剪定や管理などの仕事につながっていくものでした。美術やデザインとは無縁の家庭でしたが、小さい頃から絵を描くことは好きでした。
―デザインの世界に入ったきっかけはありますか。
小学校の担任の先生が絵が上手で、校内の池の周りの壁に魚の解説図を描いたり、町内の写生大会で指導したりと、とても絵に対する情熱のある方でした。自由な発想を教えてくれて、とても刺激を受けたのを覚えています。高校の途中から芸術系の道に進もうと思うようになり、四日市市の画塾に通いました。愛知県立芸術大学や武蔵野美術大学などを目指しましたが、画塾の先生から「デザイナーを目指すのもいいが、不安定な仕事だから、教職課程のある地元の三重大学に入って、美術の先生を目指してみては」とアドバイスをいただき、三重大学の教育学部も受験しました。結局、唯一合格した三重大学教育学部美術科へ進学しましたが、結果的にそれが良かったと思います。大学では、絵画の他、陶芸から塑像まで色々なことを経験できました。それが今の制作活動にも役に立っています。
大学に進学したての頃は美術の教師になるのも悪くないかなと考えていましたが、制作していく中で、やはり自分は教えることより、実践してデザインすることが好きだと気がつきました。そんな思いを大学の先生に相談したところ、「以前に同じようなことを言ってきた卒業生がいたから紹介する」と言われ、8年先輩の高北幸矢先生と出会いました。高北先生は当時、1967年に開校した名古屋造形芸術短期大学(以下「造形短大」)で働きながら、デザイン事務所の仕事をしていました。その出会いをきっかけに先生の仕事の手伝いをするかたわら、道具の使い方や形の創り方などを教えていただきました。また先生の勧めで、1980年には、栄にあった「ぎゃらり・あい」で初の個展を開催しました。イラストの仕事や個展で作品を発表することが後の仕事につながったと思います。
大学での仕事と作家活動
1981年、三重大学を卒業しました。高北先生からは「卒業する時にデザイン事務所を紹介する」と言われていましたが、造形短大のビジュアルデザイン研究室でたまたま実習助手のポストが空くタイミングだったため、その採用面接を受けました。そこから、助手を務めながら、デザイナーの活動をする二足のわらじを履いた生活が始まりました。大学での助手の仕事は三年の契約でしたが、その後も非常勤教員として働き、1984年には自分の住んでいたアパートでデザイン事務所を設立しました。
1990年に同朋学園が四年制の造形大を設立し、造形短大の教員の多くが造形大に移籍になりました。その結果、造形短大の教員が不足したため、教員募集がかかることになり、応募して専任講師になりました。1985年までは、造形短大も同朋学園の他の大学と一緒に名古屋市中村区の稲葉地にありましたが、学生数の増加でキャンパスが手狭になり、小牧市の大草に移転しました。2003年には造形大の短期大学部となり、2008年に廃止になりました。そのタイミングで私も造形大に移りました。こうした経緯を辿りながら、小牧キャンパスでの37年間を経て、2022年に名古屋市北区にキャンパスを移転しました。
名古屋では1989年に世界デザイン博覧会や、工業デザイン(1989年)、インテリアデザイン(1995年)、グラフィックデザイン(2003年)の世界三大デザイン会議が開催され、私も地元のデザイン団体とのイベント企画などで運営に携わり、それぞれ関わりがありました。その結果、
各専門分野の人と面識ができ、つながりができました。 今でもそうですが、デザイン業界の中心はやはり東京です。しかし、東京の大学に進学していたら今の自分は無かったと思います。その意味では、名古屋という地域に残り、色々な人に巡り会うことができて幸せだったと思います。
―海外も含めて様々なデザイン展で受賞されていますね。
この地域の先輩方が入賞・入選されているのを見て20歳代半ばから国際ポスターコンクールでアメリカやヨーロッパ、アジアのポスター展に出品するようになり、現在も続けています。海外コンクールのビエンナーレやトリエンナーレでは、それまでの2~3年間に制作した作品を概ね出品するのですが、意外な作品が審査に通ることがあり、どんどん出品していけばよいという気持ちになります。海外のコンクールでは、「どこの馬の骨であろうともモノ(作品)で評価してもらえる」と感じています。
公益社団法人日本グラフィックデザイン協会(JAGDA)が毎年テーマを設定して会員から作品を募集するポスター展があり、1993年に「JAGDA平和と環境のポスター展1993:“Iʼ m here”」で大賞を受賞しました。受賞したことで、亀倉雄策さん、永井一正さん、福田繁雄さんなど著名なデザイナーに自分の名前と顔を覚えてもらうことができたので、これは自分にとっての大きな転換期でした。JAGDAは全国組織なので、地元だけでなく全国でもつながりができました
自らの表現を発信
― 制作のスタイルについて教えてください。
1999年に愛・地球博のキャンペーンポスターを制作しました。この作品は、空から見下ろした森をイメージして、半立体で作ったものを写真に撮って制作しました。21世紀になって、万博のテーマはかつての産業技術から環境問題に変わりました。そのテーマを意識して制作したものです。
2002年に名古屋市芸術奨励賞を受賞し、国際デザインセンターで記念の個展を開催しました。この時の展覧会ポスターもアナログ制作で木材を組んで撮影し、色や形を補正して制作しています。
グラフィックデザインというのはコミュニケーションです。広告は不特定多数を相手にするとは言え、相手にどれだけつながっているか、見ている個人個人に届いているかが大切だと思います。2022年に大学内のギャラリーで作品を展示した際には、「あなたへ」届いているか、ということを自分への戒めとして、これをテーマに展覧会の広報を制作しました。
2020年には、名古屋市民芸術祭の一環として、「7GRAPHIC DESIGNERS IN NAGOYA 2020」という展覧会を企画しました。この展覧会は、名古屋で活躍しているデザイナー7人を選び、「デザインサーキット」というテーマで開催しました。「サーキット」とは「回路」を意味しています。デザインには「発想」と「表現」の要素がありますが、これらは表裏の関係であり、回路のようにスイッチが入って「発想」と「表現」がつながっていくことを表しています。コロナ禍の最中だったこともあり、会場の入り口で、検温や手指の消毒、来場者の連絡先の記といった感染拡大防止対策を徹底しての開催でした。
デザイナーは本来、依頼を受けて制作するものですが、日本では割と早い段階から、福田繁雄さんのようにメッセージ性の強い作品を積極的に制作するデザイナーもいました。私も自主的に展覧会を企画して作品を制作することが多かったですね。自分の表現を見てもらって、そこから仕事につながっていくという流れでした。
造形大学長として、今志すこと
― 今の学生を見ていて感じることはありますか。
教育学部を卒業し、小学校の教員にはならなかったものの、学生を指導する立場になりました。小さな子どもに教えるのとは違い、目標を持った若者に教えるので、難しさもありますが、向き合いやすいとも感じています。
大学の建学の精神として「同朋精神」という言葉があり、違う人同士が共に生きていくことを説いています。この精神を、先代の学長が「共感」という言葉を使い、作品を見て共感してもらう大切さとして表現していましたが、さらに私は「共鳴」という言葉を使っています。美術やデザインの発想や表現は個人から始まり、人の共感を得ることで社会に知られていきます。共感が広がれば、それは共鳴を生み世界にまで及びます。そして、評価となって自らに帰ってくることで、次への活力となります。「個に始まり個に帰る」、このことを学生へのメッセージとして発信しています。
今の学生を見ていると、外向的に自らを発信できる学生も大勢いますが、一方で内向的な性格の学生も多いですね。そうした学生は人と接するのが苦手ですが、創作活動にはコツコツと取り組みます。創作活動は自己の開放にはつながりますが、いずれはクリエーターとして世の中に出ていく必要があります。大学では、自分自身をプレゼンテーションすることも教えています。
― 最近は絵の指導員として福祉施設に就職するなど、アートと社会福祉分野を連携させる仕事もありますね。
同じ学園の中に名古屋音楽大学と同朋大学の社会福祉学部があるので、音楽や福祉の分野とアートを連携させた活動を社会に活かしていきたいと思っています。教員同士がお互いの研究内容を知らないことも多いので、事例を紹介する研修会や、教員同士が交流する機会をつくり、共同研究など新たな展開を生み出していきたいですね。
― それは素晴らしい活動ですし、ぜひ進めていただきたいと思います
