TOP
この人と…

小説家

おおた ただし

太田 忠司 さん

小説を読んで僕は初めて人間になった

 1990年、『僕の殺人』でデビューして以来、ミステリやショートショートを中心に、35年間毎年複数の作品を発表し続けている太田忠司さん。映像化された『新宿少年探偵団』や『ミステリなふたり』など長く書き続けられている人気シリーズも多く、総作品数は114作にも及びます。出版業界の隆盛と沈滞、インターネットの普及など、大きな時代の変化の中で書き続けてきた太田さんのこれまでをお伺いしました。 

(聞き手:黒田 杏子)

小説との出合い

 1959年、名古屋市南区生まれで、4人兄弟の長男です。僕が生まれてすぐに伊勢湾台風があり、あの辺りは完全に水に浸かってしまったんですね。母親は僕を背負ってアパートの屋根に登り、なんとか助かったそうです。

 子どもの頃は本をまったく読んでいませんでした。絵本や児童文学も一切通ってきていないんです。本との出合いは中学生の時。たまたま図書室で手に取った小林信彦の『大統領の密使』がきっかけでした。「小説ってこんなに面白いのか」と驚いて、じゃあ自分も書いてみようと思ったんですね。この話をすると驚かれますが、本についての知識が全くなかったので、読むことと書くことの境目がどこにもなかった。実は、小説を読むようになって初めて僕は人間になったという感覚があって、それまでのことについてはテレビを見ていたこと以外はあまり記憶がないんです。

小学生の頃(左)

 高校で所属していた生物部にはやたらと本好きの人が多く、皆で集まってはミステリ小説の話ばかりしていました。その中に小説を書いてる人がいて、やっぱり僕も書いてみようと挑戦してみたら、出来はともかく原稿用紙5枚ほどのショートショート(8,000字程度までの短い小説)が書けたんですね。それ以降ずっと書き続けています。

大学では工学部に所属

小説家デビュー前夜

『僕の殺人』初版 太田忠司、講談社

 大学4年生の時に「帰郷」という作品が「星新一ショートショート・コンテスト」で優秀賞を受賞しました。その後は、ショートショートの専門誌『ショートショートランド』に毎月原稿を送っていました。掲載される月もあれば不採用の月もありましたが、とにかく毎月書き続けた。ところが1985年に雑誌自体が休刊になってしまったんです。そこで、同じショートショート・コンテスト出身の同年代の作家仲間と『せる』という同人誌を作って発表できる場を作っていました。

 そのころ、『ショートショートランド』の編集者だった宇山日出臣さんが、綾辻行人、我孫子武丸、法月綸太郎ら京大推理小説研究会の作家をどんどんデビューさせていきました。後に「新本格」と呼ばれるひとつのムーブメントを作った伝説の編集者です。彼から「本格ミステリを書かないか」と声がかかったんです。僕はもともとミステリを書きたいと思っていたので、喜び勇んで「書きます!」と言ったものの、そのころはバブルの真っ盛りで、自動車部品メーカーに勤めていた僕は仕事がとても忙しかった。毎日が残業続きで、二晩徹夜をしたり土日に休みがないこともありました。そんな日々のなかで睡眠時間を削ってなんとか書いていきました。僕は話の最初から終わりまで真っすぐに書いていくスタイルなので、毎日少しでも書く、書けるだけ書く。ちょっと進んでは削ってを繰り返し、結局ラストシーンを書き上げるまでに2年かかりました。出来上がったのが年末だったんですが、年が明けてすぐに宇山さんから電話がかかってきて、「読んだよ。4月に出版するから直して」って。「本になるんですか!」と、本当に驚きました。まもなく、修正で真っ赤になったゲラが届きましたが、その時はまだ会社員だったし、相変わらず残業続きで、これはもう、どちらかをやめないと死んでしまうな、と、会社を辞める決断をしました。

名古屋が舞台の小説を書いていること

 初期の頃から名古屋を舞台にした作品を書いています。名古屋に特別な愛着があるということではないけれども、単純によく知っている場所だし、ちょっと東京以外がないがしろにされすぎていると思っていたんですね。吉祥寺とか下落合とか、東京の知らない地名は当たり前のように小説にバンバン出てくる。そのことへの反抗心はありました。インタビューでもよく「なぜ名古屋を舞台に小説を書くのでしょうか?」と聞かれるのですが、僕は逆に「なぜ名古屋が舞台ではいけないのでしょうか?」と思います。もちろん名古屋に縁がない読者にとっては知らない地名でしょうが、吉祥寺だって実際に行ったことない人は多いはず。書くことで、読者の中に書かれた土地のイメージができればいい。小説って知らないことを知る楽しみもあると思っています。だから僕はあえて、読者が知らないかもしれないことも書くようにしています。固有名詞をなるべく具体的な形で出したほうが、読者に対してインパクトがあるんです。僕の小説を読んでいる人がいつか名古屋に来た時に「そういえば小説であんかけスパっていうのが出てきたな」と思い出して食べてくれるかもしれない。そういうことが起きたら面白いですよね。

『名古屋駅西 喫茶ユトリロ 龍くんは河童と踊る』(ハルキ文庫)、
太田忠司、角川春樹事務所

 名古屋駅西エリアの老舗喫茶店を舞台にした『名古屋駅西 喫茶ユトリロ』シリーズ(以下、『ユトリロ』)は、2016年から始まり、2025年の春にシリーズ5作目を出版しました。

 数年置きに新作を書いているので、コロナウイルスの感染が広がって、リニア新幹線の工事が滞って…と揺れ動く時代を、今、ここにいるからこそ書けると思っています。すでに、コロナ禍の最初の頃のことは多くの人にとっては過去のことになっているけれど、『ユトリロ』を読むとあの時のことを思い出せる。しかし『ユトリロ』はこの先が書きにくい。リニアがいつ完成するのか、全然わからないのです。現地に住んでる人にも分からない。工事はしているんですが、工事を延々と続けるまま終わらなそうな雰囲気が出ている。だから次に駅西エリアのことを書くんだったら、この全然動いてない状態を書くしかない。それは今だからこそ書けることだと思います。

出版業界の変遷

 僕がデビューした1990年頃は、まだバブルが弾けたのにみんなが気づいていない頃だったんですね。それから一気に景気が悪くなりました。出版業界は少し遅れて、97年あたりがピークでした。まずは端的に印刷部数が減った。当時と比べると、印刷部数は2分の1、3分の1ぐらいに減らされてしまった。それから、ハードカバーが出せなくなりましたね。昔は、最初にノベルスか単行本で出版したら、3年ぐらい経つと文庫版が出版されていた。それが作家にとってはある意味、不労所得だったんですが、それがなくなってしまった。今はミステリの新作を出す時は、最初から文庫という場合も多いですね。作家に支払われる印税は、本の価格と印刷部数で決まるので、それだけ収入が減ってしまうのです。今は、若手が専業作家としてやっていくのはかなり難しい状況になってしまいました。芥川賞作家の田中慎弥さんが言ってたのですが、世の中のもので、超一流のものが千円以下で買えるのは本だけだと。例えばモナリザの絵を買おうとしたって無理だけど、シェイクスピアは千円以下で買えるんですよね。こんな文化芸術は他にない。出版業界は、本来であれば調子が良いときにシステムの見直しをはかるべきだったんでしょうが、ある種、理不尽な体制をそのまま続けてしまったから、今大変なことになっているんですよね。

『白亜館事件』(1997年)のサイン会
『新宿少年探偵団』の映画撮影現場で

小説を教える

 近年では、大学やカルチャーセンター、ワークショップなどで小説を書くことを教えることも増えてきました。たとえば最近では、美術館で作品を観て、それをもとにショートショートを書いて一冊にまとめるというイベントをしました。全く小説を書いたことがない人は、最初は「どうやっていいのかわからない」と言うんですが、「この作品を見て、なんかおかしいなと思うことはないですか? そのおかしなことが続いたら、一体どうなるんでしょう? おかしなことをなんとかしなきゃいけないんだったら、どうやったらそれを元に戻せるでしょう?」と導いていくと、話の筋が見えてきて、それをただ書き連ねていくだけでも、1つの作品になる。不思議なことに、書いているとただ説明するだけではなく描写も入ってきて、小説の文章になってくるんですよ。書きあげた参加者は、こんなものを自分が書けるなんてって、逆に驚いていますね。

 名古屋市文化振興事業団が主催している「コトノハなごや」では選考員も務めています。「コトノハなごや」は課題写真から連想した短編文芸作品を募集しているのですが、これも面白いですね。特にジャンルが決まってないから、自由な書き方をしているものが集まってきます。2024年度は、初めて書いてみたという人が、賞を取っちゃった。過去の受賞者のなかには、その後、商業出版で本を出した人もいますね。

「コトノハなごや」講評トークの様子。向かって右端が太田さん。
『読んだら最後、小説を書かないではいられなくなる本』
(C)太田忠司/星海社

 『読んだら最後、小説を書かないではいられなくなる本』(星海社新書)を書いたときには、「ここまで書いちゃっていいの?」と言われることも多かったのですが、これをそのままやったからって僕と同じものは書けない。誰かが書いたものは、必ず他の人とは全く違うものになるはずなんですよ。同じセオリーで書いても全く違う。だからむしろ、書く人がどんどん出てきてほしいなと思っています。最近、文学賞の授賞式など作家の集まりがあるとよく言うことがあります。「これはパイの奪い合いじゃなく、パイの広げ合いですよ」と。誰か1人でも、ものすごく売れるものを出すと業界全体が活性化する。だからみんなでマーケットを広げようっていう話をするんです。新人が出れば出るほど、いい作家が出れば出るほど、僕の作品も読んでもらえるチャンスが増えるかもしれないと思っています。

ショートショートの世界

 僕はショートショートでデビューしたこともあり、思い入れが強いジャンルなのですが、日本では、ショートショート=星新一というイメージが強くて、星さんがいなくなってしまったことで、ショートショートというもの自体が一旦ほとんど途絶えてしまった。それはすごくもったいなかったですね。『ショートショートランド』では、普段は小説を書かない役者や、監督などいろんな人に小説を書かせていた。あのままムーブメントが続いていたら、ショートショートの作家も増えて、俳句や短歌みたいに、みんながショートショートを書いて楽しめるような文化が創れたかもしれない。でも近年、田丸雅智さんをはじめショートショート専門の作家の活躍も目覚ましく、ショートショートが再び注目を浴びはじめているのを感じています。僕は一般の方に小説の書き方やショートショートの書き方を伝えることも多いですが、小説家にならなくてもいいから、小説を書くことを楽しんでほしいと思います。

6月に『ありふれた宝石』という本を自主制作しました。これは一般の書店では売ってない。フォトブックを作るサービスを利用して、これで本ができるんじゃないかな? と思いついて。ここに掲載しているのはX で個人的に書き続けているマイクロノベル(100字程度の超短編作品)で、これをまとめたいなと思っていたんですが、なかなか出してくれる出版社はないだろうと。それなら自分でやってみようと思ったんです。今はいろんな方法があるので、インターネットで発表したり、本にまとめたり、文学フリマなどのイベントに出てみたり、そうやって、みんなで盛り上げていく文化ができれば、もっともっと世の中が豊かになってくると思うし、新しい才能が出てくると思うんですよね。

『ありふれた宝石 太田忠司マイクロノベル作品集』2025年に自主制作したマイクロノベル作品集。
現在は、/NAgoya BOOK CENTER/(中村区)、henn books(中区)にて発売中。

執筆する上で決めていること

著作がずらりと並ぶ本棚

 毎日9時から19時まで書いています。僕は決めていることがあって、徹夜は絶対しない。サラリーマン時代に何度も徹夜をさせられて、倒れて病院に運び込まれたことがあったんです。もう徹夜だけは絶対だめ。徹夜しなきゃいけないようなスケジュールは絶対組まない。それから、できるだけ毎日書く。それだけです。もちろん書けない時もあります。机には座ってるけど、何にも書けなかったり、他のことを考えて全然進まない時もある。でもそういう時には1文字だけでも書く。翌日に何行か削っちゃうかもしれないけども。削ったらまた1文字だけでも書く。やっぱり一歩でもなにか進まないと。翌日その分は後退しても構わないから。

 僕は、小説を書くこと以外何もできないので、この先も、ただただ書いていければ、と思っています。書きたいことがあるというよりは、ただ、書いていたい。書くことはその都度、苦しみながら絞り出していくしかないんですけど。でもそれでも書いていたいんです。