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視点

アール・ブリュットの時代 ~福祉レジームとアール・ブリュットの成立~

 昨今、アートシーンの流行り言葉に「アール・ブリュット」があるが、日本では一般的に「アール・ブリュット=障害者アート」と受けとめられており、極めて差別的な印象を受ける。これは福祉の側面から誤訳されて発信された言葉であり、アートの側面からは修正しようと試みられているように感じる。長年、この分野で活動してきた筆者としてその謎解きをしてみた。

(まとめ:鈴木 敏春)

日本での障害者アートの流れ

 1928(昭和3)年に、久保寺保久が知的障害児施設八幡学園を千葉県東葛飾郡八幡町(現:千葉県市川市)に開園した。久保寺は、教員経験から問題行動を起こす子どもたちの中には知的障がいのある子もおり、適切な教育と保護の必要性を感じたのだった。施設では「踏むな、育てよ、水をそそげ」の理念のもと、障がいのある多くの児童に美術教育を行なった。後に「裸の大将」として親しまれることになる山下清は、八幡学園に入園しており、彼の才能が開花したことも、この施設の美術教育の賜物であった。

 1946(昭和21)年には、“日本の障がい者福祉の父 ”とも呼ばれた糸賀一雄と池田太郎、田村一二により、戦災孤児や知的障がい児を収容する近江学園が滋賀県に設立され、1948(昭和23)年には、児童福祉法の施行に伴い、県立施設となった。糸賀が語りかけた「この子らを世の光に」という言葉は「子どもたちは自ら光り輝く存在であり、それを支えていく」という思想であり、師の京都帝国大学(現:京都大学)出身の教育学者・哲学者である木村素衛の著書 『表現愛』から深く影響を受けている。久保寺や糸賀達の取り組みは、障がい者による表現活動の先駆けとなった。

 1954(昭和29)年、美術評論家・瀧口修造により『美術手帖』10月号にて、日本で初めて「ラール・ブリュ」(アール・ブリュット)という言葉が紹介された。なお、全国各地を放浪していた山下清の行方を捜す記事が朝日新聞に掲載されたのをきっかけに、山下清ブームが起こったのもこの年だった。

 時を経て、2004(平成16)年、滋賀県近江八幡市に昭和初期に建てられた町家を改築した、ボーダレス・アートギャラリーNO-MA(現:ボーダレス・アートミュージアムNO-MA)が開館した。このボーダレス・アートという言葉には、障害者アートだけにとらわれず、様々な表現を分け隔てなく紹介するというコンセプトが込められており、施設設立にあたって生み出された造語である。後に、同様のコンセプトを掲げた美術館が全国各地に開館されていくことになる。

愛知県での障害者アートの流れ

 1952 (昭和27)年、名古屋市立菊井中学校特殊学級に川崎昂が美術教師として着任した。後に「虹の絵師」や「第二の山下清」と呼ばれる山本良比古は、当時この学校に通学しており、知的障がい、難聴、言語障がいがありながらも、川崎から画才を見出されたことにより、才能を伸ばす。1960年代には、マスコミでも報道され、山本の精密な点描画と原色の華やかな画風は話題となった。山本は一時、絵を描くことから離れていたが、晩年は制作意欲が復活し、再び筆をとっていた。2019年には、高浜市やきものの里かわら美術館で企画展「山本良比古 - 緻密な風景を描いた“虹の絵師”」が開催された。企画展を担当したキュレーターの今泉岳大は「彼の絶筆は未完となった『皇居二重橋』でしたが、画面上に置かれた原色の筆跡は彼の誠実な人柄が偲ばれます」と述懐した。川崎は、その後1970(昭和45)年に社会福祉法人ひかり学園を設立するなど、生涯、障がい者支援に尽力した。

 岡崎市の障害者支援施設藤花荘では、1986 (昭和61)年に施設内で工芸や陶芸制作を行う工芸班(現:絵画陶芸班)が設置され、安藤昇、森慎吾といった陶芸家として活躍する人材を橋爪彩子が指導した。橋爪は個性や感性を尊重し、絵画や音楽などを取り入れた教育を実践する静岡県の社会福祉法人ねむの木学園に感銘を受け、愛知県立芸術大学工芸科を卒業後、藤花荘の絵画陶芸指導員を務めたが、2006(平成18)年に39歳で急逝した。その後も安藤たちは創作活動を続け、2009(平成21)年には「境界なきアート展~響きあうココロへ~」(キュレーター:森田靖久、鈴木敏春)が豊川市桜ヶ丘ミュージアムで開催された。安藤と森の陶芸作品は、おかざき世界子ども美術博物館にて開催されている特別展「安藤昇と森慎吾のやわらかいかたち- 世界は土でできている」で2025(令和7)年3月9日まで見ることができる。

 2007(平成19)年「第1回ふれあいアート展」が名古屋市民ギャラリー矢田で開催され、翌年からは電気文化会館 東ギャラリーで毎年開催されている。一般社団法人愛知県知的障害児者生活サポート協会が主催し、この作品展を通して才能を開花させ、制作活動に励む多くの作家が生まれている。

第11回ふれあいアート展開会式
安藤 昇「虎」
(第16回全国障害者芸術・文化祭あいち大会)

 2012(平成24)年「彫刻を聞き、土を語らせる 西村陽平展 西村陽平が出会った子どもたち展」が愛知県陶磁資料館で開催された。千葉県立千葉盲学校の教師であった西村と生徒たちの、陶芸を通した出会いは見る人に感動を与えた。また、2016(平成28)年の第16回全国障害者芸術・文化祭あいち大会では、プレイベントとして愛知県立芸術大学サテライトギャラリーで西村陽平と生徒たちの作品を展示した。この作品展が愛知県立芸術大学での交流事業のきっかけとなり、以後毎年、障がい者支援活動をしている卒業生らの活動をシンポジウムなどを通して大学で紹介するようになった。なお、この2016年の大会では、安藤昇の陶芸作品「虎」がマスコットとして採用されている。

 2014(平成26)年、愛知県障害福祉課が「あいちアール・ブリュット展」を名古屋市民ギャラリー矢田で開催し、以後、毎年開催している。この「あいちアール・ブリュット展」にもたびたび出展している小寺良和の陶芸作品や、升山和明のコラージュ作品は、2022(令和4)年の国際芸術祭あいちで招待作家として展示された。

 名古屋市では、毎年、世界自閉症啓発デーの4月2日から8日まで発達障害啓発週間として市内各地で取り組みを行っている。企業や大学、公共施設等が協力し、多様な価値観や自由な発想のもとに展覧会やグッズ販売などを行い、商業空間でもアール・ブリュットを取り入れる様々な活動が見られる。2024 (令和6)年には、名古屋市が、市内に本社を構える竹田印刷株式会社に運営を委託し「発達障害啓発プロジェクト作品展」を4月12日から25日まで名古屋造形大学ギャラリーにて開催した。竹田印刷は創業100周年を迎える老舗ながら、アール・ブリュット作品を用いた企画・デザインを積極的に取り入れる新たな取り組みを展開し、作家たちに活躍の場を提供している。

発達障害啓発プロジェクト作品展
(名古屋造形大学ギャラリー)

 2024(令和6)年には、愛知県と名古屋芸術大学、名古屋造形大学、愛知県立芸術大学との間で 「あいちアール・ブリュット」の取り組みを推進していくために「愛知県と県内3大学との障害者芸術文化活動の推進に関する協定」が締結された。同年6月には、名古屋芸術大学で「愛知県×名古屋芸術大学連携事業 あいちアール・ブリュット作品展」を開催した。

 2024(令和6)年4月に民間企業の障害者法定雇用率が2.3%から2.5%へ引き上げられ、2026(令和8)年7月には2.7%へと段階的に引き上げられた。愛知県では「アート雇用」をハローワークとともに進める取り組みを始めている。

当事者運動と当事者研究の流れ

 「アール・ブリュット」が提起した課題は、雇用や生活といった現実社会における課題に取り組む当事者運動から、個々の障がい者を尊重するための当事者研究へと深化している。その関連から多くの表現活動が生まれた。「アール・ブリュット」は元々、フランスの現代美術家ジャン・デュビュッフェが提唱した。デュビュッフェは、精神障がい者が制作した作品は、精神の深淵の衝動が生のままでむき出しに表出された“生きの芸術”(アール・ブリュット)であり「芸術的教養に毒されていない人々が制作した作品」と定義した。それは、日本のように福祉の側面から提起された障害者アート=「アール・ブリュット」「アウトサイダー・アート」を意味していない。現に、障がいの分類もよりきめ細かくなっており、社会的・時代的背景のためか、公募作品の多くは精神障がい者によるものになってきている。近年、福祉の側面からの誤訳に始まった表現活動は、様々な問題を抱えた社会に向き合うアートを生み出しつつある。正に「アール・ブリュットの時代」である。(文中敬称略)