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視点

国際芸術祭「あいち2025」を巡って

2025年9月13日から11月30日まで、現代美術を基軸に多様なアートの表現を発信する国際芸術祭「あいち2025」が開催された。初めて海外から芸術監督に就任したフール・アル・カシミさんは、今回のテーマ/コンセプトを「灰と薔薇のあいまに」と名付けた。このテーマに込められた想いを探るべく国際芸術祭「あいち2025」を巡った筆者が、印象的な作品・作家を紹介していく。

(まとめ:鈴木 敏春)

灰と薔薇のあいまに

枯れ木に花は咲くのか
灰と薔薇の間の時が来る
すべてが消え去り
すべてが再び始まるときに※

“モダニズムの詩人アドニスは、1967年の第3次中東戦争の後、アラブ世界を覆う灰の圧倒的な存在に疑問を投げかけ、自身を取り巻く環境破壊を嘆きました。アドニスの詩において、灰は自然分解の結果生じるものではなく、人間の活動による産物、つまり無分別な暴力、戦争、殺戮の結果なのです。環境に刻まれた痕跡を通して戦争を視覚化することで、アドニスは、直接的な因果関係や現代的な領土主義の理解ではなく、地質学的かつ永続的な時間軸を通して戦争の遺産を物語ります。したがって、アドニスにとってそれはただ暗いばかりではありません。消滅の後には開花が続くからです。”

引用:フール・アル・カシミ.「開催概要」. あいち国際芸術祭2025. https://aichitriennale.jp/outline/index.html,(参照 2025-10-31).

  • Adonis,“ An Introduction to the History of the Petty Kings,” A Time Between Ashes and Roses, 1970.

 上記の言葉は、国際芸術祭「あいち2025」の芸術監督であるフール・アル・カシミさんが今回のテーマに込めた思想の一端である。戦後80年。世界では、終わりの見えない戦争と暴力が続いている。この現実に、私たちは無意識ではいられない。現代美術が「感性の革命」であるとするならば、この現実に思いを馳せる作家や作品が多いことにも頷ける。

 今回の芸術祭では、そうした世界情勢を背景に、「灰と薔薇のあいまに」というテーマに呼応する作品が数多く展開された。会場は愛知芸術文化センター、愛知県陶磁美術館、瀬戸市のまちなか。加えて、瀬戸現代美術展2025などの連携事業や小原瀬戸芸術祭などのパートナーシップ事業も前回より充実し、地域文化の掘り起こしと国際的な交流の両立が試みられた。愛知県の文化的資源を丹念に掘り下げる作家たちの姿勢により、地域の歴史の重みを改めて気づかせてくれた。

 以下、会場ごとに特徴的な作品と作家を取り上げていく。

【愛知芸術文化センター】

◎イキバウィクルル(2021年、韓国ソウルで結成)の作品は、豊田市で開催された「橋の下世界音楽祭」を取材対象とした映像作品。その中でも「扉開けてくんろ」からは、1960年代から1970年代にかけて活動した名古屋のパフォーマンス集団「ゼロ次元」を彷彿とさせる。

イキバウィクルル「扉開けてくんろ」
展示風景
是恒さくら「古い窯の煉瓦に浮き出た結晶」
展示風景

◎是恒さくら(1986年生まれ)の作品は、捕鯨技術の変換や民話などのイメージの変遷をドローイング、刺繍、立体作品として見せてくれる。愛知県の渥美半島や知多半島南端の師崎では、古くから鯨類との関りがあった。作品には八百富神社(蒲郡市竹島町)の絵馬が展示されていた。古い窯の煉瓦に浮き出した結晶が不思議である。

◎小川待子(1946年生まれ)は、鉱物の美しさの中に「かたちはすでに在る」という考え方を見出し、ゆがみ、ひびや欠け、釉薬の縮れなどの性質を活かし、始原的な力を宿す立体作品を制作している。「水盤」からは、物質そのものを表す1970年代の作家グループ「もの派」を連想させる。

小川待子「水盤」
展示風景
札本彩子「いのちの食べかた」
展示風景

◎札本彩子(1991年生まれ)は、食をテーマに制作活動をしている。2023年の国際芸術祭地域展開事業「なめらかでないしぐさ 現代美術 in 西尾」では鮭、今回の「いのちの食べかた」は牛肉の枝肉とステーキがモチーフであった。

【愛知県陶磁美術館】

ワンゲシ・ムトゥ「眠れるヘビ」
展示風景

◎ワンゲシ・ムトゥ(1972年生まれ)の作品は、「人間の表象」というイメージの集積である。巨大な蛇の神話的な営みから、私たちの価値体系に疑問を投げかける。

Barrackによる鈴木優作の陶芸作品
展示風景

◎ Barrack(古畑大気+近藤佳那子)は、2017年に愛知県で結成されたアートユニット。本作は、週替わりで展示作家が入れ替わるカフェでの展示であった。写真の作品は、鈴木優作の陶芸作品。

【瀬戸市のまちなか】

佐々木類「忘れじのあわい」
展示風景

◎佐々木類(1984年生まれ)の作品は、旧日本鉱泉(銭湯)で展示された。植物の記憶を集積したガラス作品である。緑色のガラス絵画が風呂場にあでやかな輝きを与えた。

アドリアン・ビシャル・ロハス「地球の詩」
展示風景

◎アドリアン・ビシャル・ロハス(1980年生まれ)は、廃校になった旧瀬戸市立深川小学校で作品を展示した。止まった時間の中に子どもたちの声が蘇る。教室全体に張り巡らされた物語のようだった。

「文化を重視する時代」その果てに見える風景

 1979年、時の大平正芳首相は施政方針演説で「経済中心の時代から文化重視の時代に至った」と語った。しかし1980年代に「文化」が重視されるようになったのは、政策の転換によるものではなく、外発的な経済成長の破綻に伴う必然だった。公害を垂れ流す供給型産業社会は、消費集約型社会への構造転換を迫られたのである。この時期の美術館建設ブームも、バブル景気に乗ったいわゆる「箱物文化行政」にすぎなかった。現在、それら美術館は民営化・第三セクター化され、展示空間のために作家が生産されるという、本末転倒な状況が起きている。1990年代後半以降の行政改革をはじめ、国立博物館や美術館、研究所の文化的な価値の維持と社会が負担せざるを得ないコストの両立という難しい課題に直面している。

 博物館・美術館の本来の役割は、地域に根ざした文化の集積地であるべきだ。バブル期の派手な演出は功罪を生み、批評の消滅と現状追認のジャーナリズムの横行も課題となった。現代美術が現代たりうるのは、現在の状況をどう捉え、当事者として格闘するかにかかっている。作品制作の発表の場が美術館のみという閉塞状況の崩壊は、映像作品やインスタレーション、パフォーマンスなど、新しい表現の誕生を促し、日常の場を〈表現〉へと向かわせた。こうした機会の充実などにより、本当に文化が重視されることを願ってやまない。