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- 愛憎と金木犀│千種 創一 さん

歌人・詩人
ちぐさ そういち千種 創一 さん
名古屋生まれ。2015年、歌集『砂丘律』を上梓。2016年、日本歌人クラブ新人賞他受賞。2020年、歌集『千夜曳獏』を上梓。2021年、現代詩「ユリイカの新人」賞受賞。2022年、詩集『イギ』、ちくま文庫版『砂丘律』を上梓。2025年、歌集『あやとり』上梓。
愛憎と金木犀
中央。というものに対する愛憎がある。畏怖とも呼べるかもしれない。
僕は名古屋で生まれ育った。小学生の頃、漫画雑誌に広告の載るミニ四駆大会など子ども向けイベントの多くは東京で開かれていて、不満だった。物書きになった今日でも、重要な文学イベントの大部分が東京で開催されていることは果たして健全なのか、とよく思う。
名古屋について考えるとき、言葉を生業とする僕としては、名古屋弁に思いを馳せないわけにはいかない。共通語よりもやや複雑な敬語体系と母音を持つ、柔らかい響きの方言だ。しかし、中央政府の定めた共通語のせいで、名古屋の言葉は消えつつある(もちろん共通語がなければ遠方の人々との意思疎通もままならないし、共通語は日本国民意識の形成・維持のための必要悪ではあるが)。
こんな問題意識から、新刊を出す際には名古屋でイベントを開いてきたし、今年『あやとり』という名古屋弁の短歌を収録した本を編んだりした。短歌は、様々な時代の書き言葉を混成した共同幻想的な「文語」もしくは現代共通語の「口語」で書くのが常識だが、そして僕は言語学者でも民俗学者でもないが、消えゆく名古屋の言葉をなんとかして残したいと思ったことが、祖母にインタビューをして名古屋弁で『あやとり』を編み上げた動機の一つだ。
高校の頃から、降ってくる短歌を一人でノートに書き留めていた。短歌を詠む若者は世界で自分だけだろう、と勝手に思い込んでいた。しかし大学から東京へ出て、一人ではないことを知った。東京で、歌人や詩人、現代アート作家と出会い、多くを学び、今の僕がある。その意味では、東京に感謝している。
名古屋に住んでいた頃、やっと涼しくなって夜、網戸を開けたまま寝ると、庭から不思議な匂いがしてくることに気づいてはいた。それ以上深くは考えず、なんとなく秋の匂いだ、と思っていた。大学から東京で暮らし始めて、そこで知り合った人から、散歩の最中に「これ、金木犀の香りだよ」と教えてもらった。庭のあの「秋の匂い」は金木犀の匂いだったのか、と気がついた。かつて親しかったその人を金木犀とともに記憶している。名古屋の庭に帰って、匂いに気づいて、空を見上げると、雲のように金木犀の花が群れて咲いているのが見えた瞬間を覚えている。
これからも僕は愛と憎の間で揺れると思うし、名古屋には名古屋の、金木犀のような誇りを持っていてほしいと願っている。
