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俳優
くろこうち あや黒河 内彩 さん
名古屋を拠点に、幼少期から今日まで舞台と共に歩み続けてきた黒河内彩さん。お話を伺うだけでも、舞台と一体となった“演劇人”としての歩みがひしひしと伝わってきました。舞台で生き生きと人生を表現し続ける黒河内さんは、名古屋の演劇文化に灯る“光”のようです。舞台の上に立つその姿は、これからも観る人に感動を与え続けてくれることでしょう。
(聞き手:常磐津綱鵬)
もの静かな少女が初めて立った舞台
私は、愛知県尾張旭市の生まれで、音楽好きの母のもと、3人姉妹の次女として生まれ育ちました。姉と妹はとてもおしゃべりで、間に挟まれた私は一言も発さずに1日が終わるような物静かな子どもでした(笑)。
でも不思議なことに人前に出ることは平気で、2歳のとき、三重県の長島温泉の演芸場で、自分から舞台に上がって、姉と二人で当時流行っていたアニメ「キャンディ・キャンディ」の主題歌を歌い、母と祖母をびっくりさせたそうです。それが私の初舞台です。母は音楽が好きで、子どもの頃からコンサートやお芝居に連れて行ってくれました。その頃に夢中になって観た、劇団うりんこの「ガンバとカワウソの冒険」や「ロボットカミィ」がお芝居との出会いです。
小学3年生の8歳の時に、名古屋少年少女合唱団に入団しました。初めてのステージは東山動植物園。当時、名古屋にコアラがやってきたばかりで、コアラを歓迎する歌を歌ったのを覚えています。ステージを終えると、母から「口の開きが小さい、目がきょろきょろしている」と言われショックでした( 笑)。それからの10年間は、数えきれないほどたくさんの舞台に立ちました。その“喜び”と“厳しさ”をめいっぱい感じながら。
「キャンディ・キャンディ」を歌う(右)
東山動植物園のコアラ初来日の
イベントに出演(8歳、右)
東京での学びと帰郷
高校を卒業して、地元の大学の英語学科に進学したのですが、舞台が好きだという想いが抑えきれず、大学を辞めて玉川大学文学部芸術学科を受験しました。実はこの時、親にも告げずに退学して受験したのです。周りが唖然とする中、母は私がやりたいと言うことにNOとは言わず、私の背中を押してくれました。東京で一人暮らしをして、ミニシアターや美術館を巡ったり、大学内の劇場で仲間と夜まで大道具を作ったり、たくさんの刺激を受けました。何でもやってみないと気が済まない性分で、やってみて失敗して、気づくことの繰り返しでした。今でも大学時代は、感性を育てる時間だったと思います。
ロルカ作「ベルナルダ・アルバの家」の公演中(中央)
卒業の頃ともなると、同級生達は文学座や劇団四季の研究生といった進路が決まっていきましたが、私は事情があって、どうしても名古屋に戻らざるを得ませんでした。名古屋で演劇を続けるため、インターネットで「名古屋 劇団」と検索したところ、最初に出てきたのが「劇団シアター・ウィークエンド」でした。
代表の松本喜臣先生の写真を見た瞬間、その強烈な目力のインパクトに「あ、NHKの控室にいた人だ!」と、中学生の頃に出演していたNHKの番組の記憶が蘇り、それがきっかけとなり2000年に入団しました。
「音吉物語~帰り花 咲きて誇らし 小野浦の浜~」
人生の転機と舞台への復帰
2002年の結婚を機に神戸に転居することになり、劇団を離れました。翌2003年に長女が生まれ、再び名古屋へ戻り、2006年には長男が生まれ、毎日が目まぐるしく過ぎました。そんな中でも、ずっと心のどこかに舞台への想いがあって。ある時、劇団の公演に行くと、その想いを見透かすかのように、松本先生に「芝居、続けろよ。」と言われ、子連れでは稽古場で迷惑をかけると躊躇する私を「子どもが泣いたくらいで集中力が途切れるなら、役者なんてやめたほうがいい。」と笑い飛ばしてくださって。その言葉をきっかけに、2006年に劇団に復帰しました。娘と生後6か月の息子を連れて稽古場に通い、授乳の時には稽古場の入り口で先輩が見張り番をしてくれたり、本当に仲間に助けてもらいながらの演劇生活でした。
憧れの俳優との共演、そして「ゼロの焦点」
2013年、名古屋市文化振興事業団設立30周年記念事業として上演された「國語元年」では、幼い頃、私のスターだった劇団うりんこのいのこ福代さんや大谷勇次さん、名古屋で活躍する俳優の方々との共演が叶い、この作品が様々な舞台に出演する大きなきっかけとなりました。
井上ひさし作「國語元年」(前列 左)
(撮影:服部義安)
そして2016年、“劇場は市民が集う広場になる。劇場はひとがつながる広場になる”をコンセプトに始まった「なごや芝居の広場」シリーズで、名古屋の錚々たる演劇人の方々と一緒に舞台を創る機会に恵まれ、そこでの出会いや経験が、私にとってはキラキラとした宝石のような宝物になりました。特に2019年の「ゼロの焦点」は一生忘れられない舞台です。初日の4日前、準主役の方が体調不良で降板せざるを得なくなり、急遽私が代役を任されました。あの舞台ほど“覚悟”という言葉の重さを感じたことはありませんし、貴重な経験だったと思っています。
人との出会い、つながり、支え合いで演劇は成り立っています。それは、私の人生そのものです。私が演劇を続けてこられたのは、人に恵まれてきたからです。そして演劇の道を歩いてきて今思うことは、演劇にはチカラがあるということです。「どんな苦しい経験も悲しみも、自分の糧になる」のが俳優の仕事です。色々な役の様々な人生を生きることで、自分ではない誰かの想いを想像して共鳴する。そうすると、人間の可笑しみや、人生への愛おしさが湧いてくるんです。舞台を通して、そんな演劇のチカラをみなさまにお届けできたらいいなと思っています。
(撮影:服部義安)
令和6年度名古屋市民芸術祭特別賞(精励賞)受賞作品
