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随想

劇作家・演出家・メニコン シアターAoi芸術監督

やまぐち あかね

山口 茜 さん

現在、演劇を上演するトリコ・Aとサファリ・Pの代表。文化庁新進芸術家海外留学制度研修員、セゾン文化財団シニアフェローなどを経て、2023年よりメニコン シアターAoi芸術監督。

スリル

 私は、劇作家を名乗っている。劇作家とは舞台の脚本、つまり戯曲を書く人のことだ。ここ数年、いわゆるスランプに陥っていた。何を書いていいのかわからない。出力の仕方がわからないのか、書きたいことがないのか、それともそもそも書きたいと思っていないのかの見分けをつけるのにかなりの時間を要した。色々あって脚本の書き方の本を読み漁り、私には技術が足りなかったのだ、と結論づけて、最近やっと再スタートを切ることができた。その際、非常に有効だったのが「自分が答えだと思っている地点をスタートに書き始める」という書き方だ。例えば私は今、『怪物』というタイトルの戯曲を書いている。

 怪物といえばまず、退治される存在として想起されるのではないだろうか。私たちの外側にいて、私たちを脅かし、だからこそ排除されるべきもの。けれど、怪物は本当に外側にいるのだろうか。退治すれば済む相手なのだろうか。むしろ怪物とは人間の内部に存在する、私たちが見たくないもの、名前をつけられないもののことではないか。しかしこれは既存の怪物譚たんにはよくある展開だ。怪物を退治しようとしていた人間たちこそが、実は怪物だった、という結末。それならば、こうするのはどうだろう。怪物を、排除する対象ではなく、共存せざるを得ない存在だと気がつく物語。しかもちょっと愉快だったらいいな。

 よし、それでは愉快な怪物と共存する話を書こう! という結末を目指して戯曲を書き始めると、書けない。まったく筆が進まない。あとはその答えに辿り着くためのプロセスを書けば良いだけなのに、私の用意した答えにたどり着くように登場人物たちを動かし、葛藤を生み出してそれを乗り越えさせれば良いだけなのに、書けない。なぜならそこにはスリルがないからだ。戯曲を書くということは、自分の中にすでにある答えへと、うまくたどり着くためのプロセスを作ることではない。むしろ、その答えを出発点として、登場人物や設定の力を借りながら、奥にある、自分でもまだ気づいていない考えを掘り起こしていく作業だったのだ。考えがあるから書き始める。けれど、書くことは、その考えを証明するためにあるのではない。その考えを入口にして、もっと深いところへ降りていくためにある。自分ではもうわかっていると思っていたことの下に、まだ言葉になっていない違和感や、矛盾や、恐れや、欲望が眠っている。そこへ向かって潜っていくスリルそのものが、書くということなのだと今回のスランプで初めて気がつくことができた。

 ゴールは決めない、ということが決まり、急に不安になった。何を書くかもわかっていないのに、本番の日は決まっていて、劇場も押さえていて、全てのスタッフ、キャストとの契約は済んでいる。そんなことがあるのか? いや、よくないだろう。できればこういうことは、今後は避けたい。そう思いながら、今日も私は、戯曲を書く。