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随想

能楽師(ワキ方高安流)

はしもと つかさ

橋本 宰 さん

1965年名古屋市中区大須生まれ。平成4年、当時宗家預かりであった西村欽也師に入門。 その後、十四世宗家 高安勝久師、飯冨雅介師に師事。主に飯冨雅介師より高安流西村家の芸の指導を受ける。令和2年、重要無形文化財総合指定。令和5年度名古屋市芸術奨励賞受賞。

人生を倍楽しむ「二足の草鞋」のススメ

 平成4年のある日、私は名古屋のとある総合病院の一室にいました。ベッドの上には当時宗家預かりの西村欽也先生、私の横には師匠の飯冨雅
介先生がおいででした。師匠が欽也先生に「こちらが今回入門希望の橋本君です」とおっしゃると、欽也先生はちらっと私を見た後、「そうか、そうか」と少し微笑んで師匠を見て頷かれました。まだ若かった私は緊張感に潰れそうになりながら「宜しくお願いします」とだけ言って頭をさげると欽也先生からは「頑張って」と小さな声で言っていただけました。その瞬間から私の「能楽師人生」が始まったのです。

 入門のきっかけは信じられないかも知れませんが、車のラジオから聞こえてきた「能楽協会名古屋支部養成会員募集」に応募したことでした。担当していただいた大鼓方の筧鉱一先生は当初、私をシテ方に紹介したものの「専業じゃないとダメ」と断られ、行き場のない私に手を差し伸べてくれたのがワキ方の高安流だったのです。

 実は能楽師になる前から私は「鍼灸師」という仕事もしていました。ですから俗に言う「二足の草鞋」を履くことになったのです。この言葉は昔からどちらかというとネガティブなニュアンスで使われていますね。要するに「中途半端」という意味合いが強く感じられる言葉です。私も今まで幾度となく「橋本さんの本業はどちらですか?」と質問されました。その時私はいつも迷わずに「両方本業ですよ」と答えます。私にとっての「二足の草鞋」は「本業がふたつある」こと。どちらかが「副業」ではないのです。ですから私の中には「中途半端」という意味合いも気持ちもありません。確かに一部の周りの人にはそのように見えたかも知れませんが、大半の方々は私のことを寛容に受け入れてくれました。ただその分、周囲に迷惑をかけながらの二足の草鞋人生だったことは否定できませんが。

 今振り返ると「能楽」がない人生が自分にとって想像できない程、「ワキ方能楽師」であることは私の誇りであり宝です。「ふたつの本業」を持つことによって多少の苦労はしたかもしれませんが、その代わり普通の人では経験の出来ない充実した時間を送ることが出来ました。

 もし今、職業の選択で悩んでいる方がおみえなら、私は自信を持って「二足の草鞋」を勧めます。ただし、その両方の仕事が「大好き」ならば、ですよ。