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歌人

こざかい だいすけ

小坂井 大輔 さん

短歌と出会って新しい人生が始まった

 小坂井大輔さんは、唯一無二の作風で人気を集める歌人であり、名古屋・駅西エリアの中華料理店「平和園」の二代目です。創業52年の店は近年、「短歌の聖地」と呼ばれるようになり、夜な夜なレジェンドから若手まで、歌人たちがひっそりと集っているとか、いないとか。短歌ブームの今、歌会以外で語り合える場の存在は、若い世代にとって大きな意味を持ちます。名古屋の短歌文化を支える小坂井さんに話を伺いました。

(聞き手:黒田 杏子)

生まれも育ちも中村区

 生まれてからずっと名古屋市中村区です。明るくて活発な子どもだったけど、照れ屋で、結構周りを見ていたなっていう気はする。父が平和園を開いたのは僕が生まれる前のことで、子どもの頃は店でうろちょろして、常連さんからお小遣いをもらったり、たまに手伝いをしたりしていましたね。今思い出してみても、変な人たちがいっぱいいたな。ずっと酔っ払ってる人とか、突然コップをかみ砕いちゃう人とか、瓶ビールを口で開ける人とか。何を見せられてるのか分かんない。うちの母親に「ママさん、これプレゼント」って、向かいのブティックの服を勝手に持ってきたり。無茶苦茶ですよ。

 本はまったく読んでなかった。ファミコンをやったり、外で野球をしたりしていたかな。高校を卒業してからはギャンブル三昧。入学した大学にも行かず、毎日スロットとパチンコをやっていた。深夜3時から開店待ちして、22時頃までずっとパチンコ台の前に座ってる。結構な労働時間。ある程度稼ぎもあったので就職もしなかったんだけど、23歳ぐらいの時に平和園の従業員がいなくなって、急遽、店を手伝うことになった。当時は、今が未来につながっていくって感覚がなかった。夢はスーパーマンか仮面ライダー。子どもの頃のままで、現実的にこうなりたいっていうのはまったくなかったですね。

(左)創業当時の平和園の様子がしのばれるポスター
(右)平和園の看板

俺は絶対すごいことになる

 30歳になった時、それまでの人生の中身のなさに衝撃を受けて、突然、雷に打たれたように「本を読もう」と思った。でも何を読めばいいのかまったく分からないから、勢いで「朝活読書会」を始めました。毎週水曜日の朝7時に名古屋駅のカフェで集まって、好きな本をシェアしてもらう。6年ぐらいやっていたかな。シェアされた本は全部読むって決めていたから、当時は月に30冊ぐらい読んでましたね。なぜか文学好きが多くて、塚本邦雄さんや岡井隆さんの歌集を持ってきた人も。ある日、戸田響子さんが雑誌『ダ・ヴィンチ』を持ってきました。戸田さんの応募した短歌が、『ダ・ヴィンチ』で連載中の穂村弘さんの「短歌ください」のコーナーに選ばれて掲載されていたんです。その時に掲載されていた他の短歌も、それまでのイメージと違った作品が多くて、「面白い!俺もやる!」って。また雷に打たれました(笑)。

朝活読書会にて

 短歌と出会って、これで俺は何かを表現できる人になれるって確信した。それまでは、日常のなかで「面白い」と思う出来事やシーンがあっても、翌日には忘れてしまっていた。でもこういう感覚も、短歌でなら形にできる。俺の出番だ、と。始めてひと月もたたないうちに「俺は絶対すごいことになるよ」って言っていたから、みんなびっくりしたと思う。実際、すぐに「短歌ください」に選ばれました。

わからないわからないけど顔らへん
納豆の糸顔らへんふわり

『平和園に帰ろうよ』(書肆侃侃房)

 そこからはもう、自分の直感力をフルに使い出した。加藤治郎さんの講座に行き、穂村さんが所属している「歌人集団かばんの会」と、加藤治郎さんが選者を務める「未来短歌会」に入会して、荻原裕幸さんが主宰する「東桜歌会」に行くようになって。当時は「短歌ください」以外にも日経歌壇などの新聞に投稿しまくっていて、そこにはいつも岡野大嗣さんや木下龍也さんがいて、「この人たちに勝たなきゃダメだ」って思ってやっていた。その頃の切磋琢磨が、自分を育ててくれたと思います。

駅西エリアを舞台にした短歌

 最初から「ここ」で見てきたものや、感じたことで短歌を詠んできた。それしかなかった。当時、自分の30年のなかに、短歌にしたいことがたくさんあった。何もないと思っていたけど、無駄じゃなかったんだよね。それどころか、短歌界にはこういう生活をしてきた人はいないから、ブルーオーシャンだと思った。町田康さんの小説やコーエン兄弟の映画には、ダメ人間がたくさん出てくるけど、どこか愛らしくて憎めない。自分もダメ人間ばかり見てたし、ちょっと憧れていた部分もある。俺は、短歌でそれをやりたかった。もちろんHIPHOPのレペゼン文化も入ってたし、コンプレックスも含めて「対・東京」は意識してた。この場所が誇りだった。今、駅西エリアが大きく変わってきているのには、やっぱり寂しさはあるよ。みんな路上で寝てたし、ゲロだらけだし、最悪。でもここが好きだった。朝、ポン引きの人たちに挨拶しながら登校したり、夜、遊びに出ると「早く帰って来いよ」と声をかけられたり。そういうのが楽しかった。街としては成熟して、いい街にはなっていってると思いますけどね。

「短歌の聖地」へ

 だんだん歌人の知り合いも増えて、「中華料理屋やってます」って言うと、面白がって来てくれるようになって。「短歌の聖地」っていうのは荻原さんが言い出したんだよね。最初は多分、冗談まじりだったと思うんだけど、それがSNSで徐々に広がっていった。2017年に荻原さんが「誰かが平和園で待つてる」という連作を発表して、翌年『短歌研究』で「平和園の謎」特集が組まれて。その後、新聞やテレビでも取り上げられるようになった。でも、僕自身は一切タッチしてこなかった。「短歌の聖地」って聞いて来たのに、普通の中華料理屋じゃん、っていうのでいい。「“短歌チャーハン”とかやったら?」って言われるけど、それはダサいからやらない。この距離感を大事にしてる。

 短歌をやっている人にはノートを渡して、その場で一首書いてもらっている。2016年に千種創一さんの歌集『砂丘律』の批評会の打ち上げで、「みんなに一首書いてもらおうよ」ってノートを持ってきてくれた人がいて、それが始まり。今では11冊目になりました。最近では、歌人じゃない人も書いてくれるようになってきたのが嬉しい。あれはいずれ、僕の手からは離れるものだと思っている。歌人交友録としても貴重だし、みんなその場で直筆で書いてくれているから。

平和園の短歌ノート『炒飯と餃子と唐揚げ』

肩書はいらない

 歌人のなかには、自分ではなく短歌を見てほしいっていう人が多い。俺は今、逆に自分自身を前に出していこうと思っている。「俺」を入り口に短歌を知ってもらうこともできるかもしれないし、それが短歌への貢献になるんじゃないかって思ってる。今は休止しているけど、ここ半年はTikTok配信を毎日やっていた。本の話とか音楽の話とか、雑談するだけ。キャバ嬢からの悩み相談もやってたよ。極端なことを言えば、歌人っていう肩書きも、中華料理屋っていう肩書きもいらない。そうじゃないと自由にできない。起きて本を読んで、映画を見て、仕事前に風呂に行ってサウナに入って。来週からは書道教室に通おうと思ってる。今はストレスもないし、幸せですよ。

歌人・岡野大嗣さんとの
トークイベント
歌集『平和園に帰ろうよ』(書肆侃侃房・2019)、
『コザカイズム』(短歌研究社・2025)