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十九世紀書物史研究 美術批評 安井 海洋 さん
ISO-HAAPASAARI JYVÄSKYLÄ, FINLAND, OCTOBER(2024年)
2024年には二人の中堅世代の作家が息を吹き返したかのような活躍を見せた。彼らが死に体だったと言うのではない。歩一歩と積み重ねてきたものが、今年になってブレイクスルーに達したのだ。復活者の清新さで、二人の作品は筆者の目に飛び込んできた。鈴木雅明と山田純嗣の二人のうち、鈴木についてはTEZUKAYAMA GALLERYが発行した個展の記録冊子への寄稿文で記したので割愛する。
山田純嗣は2023年まで文化庁の研修制度でフィンランドのユヴァスキュラに滞在し、銅版画家の石山直司より独自のドライポイント技法の教授を受けた。ドライポイントの特徴はニードルで銅版を直刻し、その際に生じる小さな「まくれ」を利用して線の周囲に滲みをつくりだす点にある。しかし石山のドライポイント技法は極細のニードルを使用するため、まくれが肉眼ではほとんど認識できず、かつ彫刻に時間がかかる。
これまで山田は名画を再現した立体を撮影し、インタリオ技法で大画面に転写するシリーズを展開してきた。しかし海外研修を契機に、今までとは打って変わった正統派の銅版画を発表する。AIN SOPH DISPATCH のグループ展「I want to see theother side of the scenery you saw」で公開した新作は、過去の大作に比べるとずっと小さく、一日に数センチ四方ずつ彫り進めていくのだという。描かれるのは雪のユヴァスキュラの森である。さきにこの技法ではまくれが肉眼でほとんど見えないと述べた。だが掌におさまる小さな画面のなかの、降り積もった雪の表面が冷たい微風にふるえるさまや、白樺の表皮のゆらめきは、たしかに眼に触れている。見るのではなく眼で触れるというのが正しい極小の毛羽立ちに、自然物の精巧さに接したときに似た胸のふるえをおぼえた。
名古屋市美術館の「生誕130年記念 北川民次展」は、コレクションの柱である北川の作品を館外からも借用し、その事績を網羅した点で、同館による研究の集大成だといえる。メキシコ壁画運動のリアリズムに影響を受けた画風で想起されることの多い北川だが、全生涯の作品を通覧すると、時代ごとのムーブメントを積極的に取り入れる柔軟さと貪欲さを持っていたことがわかる。後半に示されたこどもたちの教育者としての側面も見逃しがたい。
愛知県美術館の「アブソリュート・チェアーズ 現代美術のなかの椅子なるもの」は、さまざまな形で現代美術に摂取された椅子の作品を提示することで、椅子と、腰かける私たちの身体について問いかける企画だった。ところで、本展には「障害と政治」という裏のテーマが見え隠れする。ダラ・バーンバウムの映像《座らされた不安》における自閉症者を連想させる常同行動を椅子の上で繰り返す女性の姿や、東大全共闘時の安田講堂内にいた渡辺眸が撮った写真集《東大全共闘 1968-1969》におけるバリケードにされた椅子、女性たちが議論する場で腰かけている椅子は、着座以外の使途や、対話の媒介としての役割など、椅子の多面性を示している。椅子は学校の教室のように人の行動を制約することもあれば、制約からの解放をもたらすこともあるのである。
(7月18日~9月23日愛知県美術館)(撮影:城戸保)
