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株式会社コノハ美術 代表

いけだ ちか

池田 ちか さん

アートの仕事、アートの現場が天職になる

 愛知県では国際芸術祭「あいち」の影響もあってか、美術系大学における地域連携や企業とのコラボレーション企画などの新しい試みが進んでいる。それにより、アートが担う社会的な役割の重要性が広く認識されるようになりつつある。
 一般的には美術の仕事=創作活動と考えがちだが、作品を創造すること以外にも美術の仕事は存在する。展覧会や美術イベントを企画する池田ちかさんの仕事はその好例といえるだろう。池田さんに自分にしか出来ない仕事、自分にしかない価値とは何か、お話を伺った。

(聞き手:鈴木 敏春)

「美術」との出会い

 私は名古屋市に生まれ、大府市で育ちました。幼少期は特別絵を描くことが好き、というほどでもなかったのですが、大府中学に通っていた時に、友人に誘われてなんとなく美術部に入りました。その時の顧問が版画家の森岡完介先生だったんです。その出会いはそれはもう印象的で、森岡先生に美術の面白さを植えつけられたと思います(笑)

中学生時代、美術部にて(一番右が池田さん)
大学の芸術祭

 高校では剣道部に所属し、美術とは深く関わっていなかったものの、大学は芸術系の道に進みたいと考えました。そこで、多摩美術大学美術学部芸術学科プロデュースコースへ進学し、美術評論家の東野芳明先生のゼミを選びました。東野先生は「真面目に授業に出るくらいなら、銀座の画廊を全て回って来い」などと言うようなユニークな方でした。授業も美術のジャンルに留まらず、人類学などさまざまな分野の講師を招くなど興味深いもので、非常に影響を受けました。他にも菅木志雄先生や李禹煥先生など、当時の美術の最先端を行く先生方が多数在籍しており、そうした先生方のもとで学べたことはとても刺激になりましたね。

導かれるように進んだ美術の世界

レントゲン藝術研究所

 予備校時代にお世話になった、小西信之先生の紹介で、大学生の頃にアトリエ出版社というところで編集アシスタントのアルバイトをしていました。それが縁となり大学卒業後に、アトリエ出版社に勤めていたキュレーターの西原珉さんから、「レントゲン藝術研究所(以下レントゲン)でスタッフを募集しているから行ってみたら」と勧められたことがきっかけで、働くことになりました。東京の大田区にあったレントゲンは当時の現代美術のアートシーンを引率していた、日本で最初の本格的なオルタナティブギャラリーです。若手作家の登竜門的な存在だったレントゲンでは、村上隆さんの展覧会や会田誠さんのデビュー展覧会に携わり、デレクションなどを学びました。

 レントゲンが1996年に青山に移転するタイミングで退職し、その時に知人に紹介されたのが編集工学研究所の松岡正剛さんでした。当時、松岡さんがプロデューサーとして関わっていた岡崎市美術博物館が開館するということで、私も編集工学研究所のスタッフとして、東京と愛知を行ったり来たりしていました。その際に関係者の方から「愛知県出身で、学芸員の資格もあるならこっちへ来ないか」とお誘いいただき、愛知へ帰郷し、岡崎市美術博物館の学芸員として働くことになりました。

 転換期となったのは、岡崎市内にあるノブギャラリーでアートディレクターをしていた内藤美和さんとの出会いです。もともと面識はあったのですが、個人的な接点はなかった内藤さんとお話するうちに意気投合。現代美術に対するスタンスがよく似ていることがわかり、気がついたら「一緒に仕事をしましょう」という話になっていました。そこで、2年程勤めた岡崎市美術博物館を退職し、内藤さんと2人で1999年に現代美術に関するコーディネート&プランニング事務所としてオフィス・マッチング・モウル(以下マッチングモウル)を創業、2001年に法人化しました。今ふり返ると、多くの方との出会いがきっかけで、導かれるように進んできたなと思います。

『天使と天女-天界からのメッセージ』展(岡崎市美術博物館)
 学芸員時代の池田さん(左)
オフィス・マッチング・モウル

佐久島での企画・運営

『おひるねハウス』2004(2023年再制作)
設計:南川祐輝/撮影:尾崎芳弘[DARUMA]

 今では現代アートの島として名高い佐久島ですが、少子高齢化による人口減少が進む中、始まったのが「アートによる島おこし」でした。マッチングモウルは2001年以来、深くこの取り組みに関わってきました。島にアート作品を設置することに留まらず、島の魅力も同時に発信すべく始まったプロジェクトが「三河・佐久島アートプラン21」です。2004年に制作された南川祐輝さんの『おひるねハウス』はゆったりとした自然に向き合う人々の営みを示す代表的な作品で、ご存じの方も多いのではないでしょうか。
以降、佐久島での企画事業に20年程関わり、もはや佐久島は第ニの実家のような感覚です。

 2001年当時に小学生だった島の子どもたちが、20年の時を経て大人になり、皆と一緒にあいちトリエンナーレ(現:国際芸術祭「あいち」)に行く機会がありました。美術館もギャラリーもない島の子どもたちが大人になり、作家や作品の話ができることが感慨深く、嬉しかったですね。私はもともと子どもと接することが好きでしたし、子どもたちの成長をアートを通して見届けることが新たな場所でもできたらと考え、2020年に株式会社コノハ美術(以下コノハ美術)を岡崎市に設立しました。

コノハ美術の設立

標本箱ワークショップ(2023年)

 コノハ美術はマッチングモウルから独立したかたちで設立しました。コノハの名前は愛知県の県鳥のコノハズクと、四季の移ろいを感じることのできる木の葉、富士山本宮浅間大社に祀られる木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)にちなみました。木花之佐久夜毘売は山の神である大山津見神(オオヤマツミノカミ)の娘神です。マッチングモウルでは海の佐久島を中心に展開していたので、山を中心に「子どもと自然とアート」をテーマに「子どもも大人も楽しめる」を目指した活動をしています。山は川を通じて海につながっています。山からの豊かな栄養が海に恵みをもたらすんですね。コノハ美術では子ども向けのアート教室や環境とアートを結びつけたワークショップなど、岡崎市の額田地域の森林からの間伐材といった自然素材を使用した作品づくりを通して、子どもたちの豊かな感性を育くんでいきたいと考えています。

 最近はコロナの影響で、子どもが野外で遊び、自然に触れる機会が減ったように感じます。身体を動かし、五感を刺激することで、空間認知能力が養われます。それが、豊かな発想力や思考力につながりますから、美術だけではなく運動を取り入れたりさまざまなジャンルと組み合わせながらアートに親しんでもらいたいと思います。

 今後は、年齢や障がいの有無、性別、国籍を超えてアートを楽しむ場をつくっていけたら嬉しいですね。現在、高齢者を対象にしたアートのワークショップを企画しており、2024年4月から試験的に開催する予定です。

 国際芸術祭「あいち」2022では展示会場である常滑で地元若手陶芸家と作品制作をしたり、西尾市の国際芸術祭地域展開事業の会場運営を地元スタッフと行うなど、地域とアートをつなぐ活動に関わる池田さん。今後の活動にも注目です。