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1年をふりかえって
文学

文芸評論家・愛知淑徳大学教授 清水 良典 さん

 昨年この欄でも紹介した吉川トリコの『余命一年、男をかう』(講談社)が、六月、島清恋愛文学賞を受賞し、また山本周五郎賞の候補にもなった。躍進の目立つ吉川の新刊『流れる星をつかまえに』(ポプラ社)は、卒業の迫る名古屋の高校を舞台に、卒業パーティ「プロム」を企てる物語で、生徒だけでなく、親や教師の人生も巻き込んだ巧妙なオムニバス小説だ。著者の饒舌な語りを存分に活かした痛快な作品である。

 もう一人、奥山景布子の新刊『やわ肌くらべ』(中央公論新社)も意欲作だ。ざっくりいえば与謝野晶子の伝記小説であり、与謝野鉄幹と出会ってから名声を得るまでの時代を描いているのだが、本書の特色は、鉄幹の元妻の滝野、鉄幹を慕った恋と短歌のライバル山川登美子たちが、晶子と対等に視点人物として登場している点だ。賛美に偏りがちな晶子を、本書は人間的な欠点もエゴも遠慮なくむき出しにする。恋の惑乱と短歌の道の険しさが生々しく多元的に浮き彫りになって、読み応えがあった。

吉川トリコ『流れる星をつかまえに』
(ポプラ社)
奥山景布子『やわ肌くらべ』
(中央公論新社)

 6月に中部ペンクラブ総会が2年ぶりに会員を集めてルブラ王山で行われ、大島真寿美を招いて公開鼎談がおこなわれた。名古屋の演劇少女だった大島が作家となり、やがて歌舞伎や浄瑠璃に魅せられて『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』で直木賞を受賞するまでの来歴を、出版社の担当編集者を交えて、三田村博史が聞き出した。名古屋にゆかりの幻の作家、久志芙沙子をモデルに大島が書いた『ツタよ、ツタ』も話題にあがったが、同席した編集者がその芙沙子の孫という機縁もあったので、もっと話を聞きたいところだった。

 ところで、その中部ペンクラブの会長を長年務めてきた三田村博史が、中部ペンクラブ文学賞の選考委員も含めて退任することとなった。これまで率先して多くのイベントを企画し、辣腕をふるってきただけに、今後のペンクラブの動向が注目される。

 さて、詩人としてはすでに大家の北川朱実の小説(私は詩と同じくらい小説も好きだ)が時おり読めるのが、この地方の雑誌の良いところだ。「クローゼットの中の家族」(「文芸中部」119号)は、女性のもとにストーカーから猫の死体が手紙とともに段ボールで送られてくる怖い話である。しかし手紙の主のことが分かるともっと不気味さが増す。直接的な付き合いを避けがちなコロナ禍の、他者との関係性の不穏さがドロリと覗く。また、身の回りの物全てをバッグに入れてネットカフェで暮らす若い女を描いた弥栄菫の「ショッピングバッグ・レディー」(「峠」78号)は、今日の貧困問題を扱いながら、人間的魅力とたくましい向日性を帯びている力作だった。昨年『名古屋の栄さまと「得月楼」』を上梓して話題となった寺田繁が、「北斗」に「幻の直木賞作家 小説 岡戸武平」の連載を始めたのも楽しみである。岡田武平は第1回直木賞の候補になりながら、今では思い出される機会が乏しい作家だ。