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グラフィックデザイナー
いとう あつし伊藤 敦志 さん
人生を変えたデザイン、人生を変えた漫画
愛知県刈谷市出身の伊藤敦志さんは、東海地方の美術展のチラシやカタログなどを手掛けるグラフィックデザイナー。
2019年、仕事の合間に5年をかけて制作した初の漫画作品『大人になれば』が好評を博し、自費出版の作品ながら、第23回文化庁メディア芸術祭マンガ部門新人賞を受賞しました。伊藤さんのこれまでとこれからについてお話を伺いました。
(聞き手:黒田 杏子)
漫画家になりたい
―どんな子ども時代でしたか?
漫画が大好きでした。幼い頃は『ドラえもん』が好きで藤子不二雄オタクでした。4つ上のいとこの影響もあり、小学生の頃から古本屋で石ノ森章太郎や手塚治虫の古い漫画を探したり、お小遣いはほとんど漫画に使ってましたね。小学3年生からストーリーのある漫画を描き始めました。休み時間に教室で漫画を描いていると、皆が見に来てくれて嬉しかったです。これ(写真)は、小学6年生の時にそれまでに描いた漫画をまとめたものです。
よく本を持っていた。
―タイトルや出版社名、中表紙や著者近影まで描かれていて、「本」として作り込まれていますね。
今こうして見てみると、漫画を描くだけじゃなくて綴じられた「本」を作りたかったんですね。その後もずっと漫画家になりたくて中学、高校と描き続けていましたが、世間はバンドブームでオタクはカッコ悪いという時代でしたので、その頃は漫画を描いていることはあまり言わないようにしていました。高校最後の春休みに15ページのギャグ漫画を描いて、原稿を『週刊少年ジャンプ』の編集部に持って行きました。自分としてはこれを見せたら、すぐにデビューして漫画家になれると思ってたんですよね。でもそうはならなかった。「次回作ができたらまた見せて」と言われて二作目を描いて送って。三作目は少し社会派の作品に挑戦したのですが、人生経験が足りず描けませんでした。そこで一旦漫画をやめました。「あ、このままでは描けないな、なにか違うことをしよう」と。20歳の時、漫画の一コマがそのまま絵画になるんじゃないかという発想で、ペインティング作品を制作して初個展をし、とにかくたくさんの作品を描いて、5、6年間は作家活動をしていました。
(フェイスポップアートギャラリー/刈谷市/1992年)
デザインの原点はCDジャケット
(1997年~2005年)
― 2002年にデザインオフィス「AIRS」を立ち上げられますが、伊藤さんはどのような経緯でデザイナーになったのですか?
1992年~93年くらいからのちに渋谷系と言われるような音楽を聴くようになるのですが、その中でもピチカート・ファイヴのCDジャケットは今まで見たことのないようなデザインで衝撃を受けました。それまでのモノの見方や考え方が一変するほど。のちにそのジャケットデザインは、メンバーの小西康陽さんとアートディレクターの信藤三雄さんによるものだと知りました。信藤さんのデザインは、技術的にすごく難しいことをしているというよりは、モチーフの選び方やアイデアのセンスが抜群によかったんです。それまで白黒だったトレイを透明にしたり、歌詞カードが凝っていたり、CDが“新しいメディア”としてデザインされていたんですよね。僕もこれをやりたい、と思いました。そこで、ギターを弾ける友達と一緒に音楽活動を始めました。自分でデザインしたブック付のカセットテープをリリースして、レコードショップに置いてもらったり。これが僕がデザイナーになるきっかけになりました。自分でコンテンツからパッケージまで、まるごと作って売る。そのジャケットを見て、他の音楽レーベルの方からデザインの依頼をいただいたり、当時勤めていた会社でデザインの仕事もやるようになりました。29歳の時に独立し、近年では美術館の展覧会のチラシやカタログなどを手掛けています。デザインは、誰かの「こうしたい」を叶えるお手伝いができる仕事だと思っています。
子どもへの贈り物として
―デザイナーとして働きながら描かれた漫画『大人になれば』は、どのようなきっかけで制作されたのでしょうか。
もともとは息子と娘への贈り物として描き始めたんです。子どもたちと家の周りを散歩していると、自分の小さい頃の記憶が呼び起こされ、もう一度人生をなぞっているように感じることがあるんです。この感覚を形にしたいと思うようになりました。息子が小学生になった頃、僕が小学生の時に描いた漫画を見せたら「僕も漫画描く!」と言ったんです。それを見て、じゃあ僕もまた描こうかな、と。昔、描けなかったものが今なら描けるんじゃないかと思いました。
―この作品は、1988年と2020年というふたつの時代を行ったり帰ったりする不思議なお話ですよね。このストーリーはどういうきっかけで生まれたのでしょう。
ロバート・A・ハインラインの『時の門』というSF中編小説から着想を得ています。設定が複雑なので、矛盾のないよう話を考えるのに2、3年かかりました。なぜ1988年と2020年を舞台にしたかというと、2020年ってキリがいいし、オリンピックが開催予定で年号が街中に溢れているのでわかりやすいと思って。で、長男と僕の年齢差の32年をひいて1988年。さらに1988年は、僕は15、6歳で自分にとってのターニングポイントの年でもあるんです。辛い時期を過ごしていたその頃の自分にかけてあげたい言葉があった、というのもこの年を舞台にした理由です。
今の自分だからこそ描ける作品を
架空のパリの街をテーマにしたウォールアート(撮影:千代)
―まさに、過去/未来の自分と出会って物語が動いていきますよね。伊藤さんが影響を受けてきたであろう、さまざまな作品へのオマージュも感じられます。
漫画を20年ぶりに描くことになって、今さら昔やっていたことと同じことをしても仕方がないので、以前とは違う視点で描こうと思いました。デザイン的な感覚や、自分が影響を受けたカルチャーを取り入れ、年を取ったからこそ描けるものを追求していきました。セリフがほとんどないのは、映画『2001年宇宙の旅』やジャック・タチなどの影響です。セリフで状況も感情も説明できてしまうからこそ、極力そうしないで、絵で伝えることができないかと試行錯誤しました。帯にコメントを寄せてくださった小西康陽さんとは、15年ほど前に初めてお会いしました。まだ発表前の完成した本をお渡ししたらすぐに読んでくださって「これは人生が変わるよ」と言ってくれたんです。今思うと、本当に変わったのかもしれません。
まだ少しかかりそうですけど、今は次の作品を描いています。次回作は、少しパーソナルな部分も入れて面白くできれば、と。この年になってまた新しいことがやれるのは幸せなことだなと感じています。
